補足説明

古典的な「国家有機体説」や「社会契約論」とは別に、「科学的社会主義」に基づく「国家論」的思想がある。

私は、最新の生物学・生命科学・量子力学・社会情報学・政治学など最新の知見に基づく、「新しい国家論」が打ち立てられなければならない、と考えている。


2016年6月27日月曜日

科学的社会主義について【日本大百科全書(ニッポニカ)の解説】


マルクス主義の別称で、空想的社会主義に対比された表現。社会主義の思想は、商品生産が広がり資本家階級と労働者階級の分化が始まる資本主義創成期から現れるが、この階級対立の矛盾と資本主義的不平等に対する批判的ユートピアとして、トマス・モア、カンパネッラらは、矛盾と階級差別のない平等社会の理想を述べた。

18世紀末から19世紀前半の産業革命期には、フランスのサン・シモンやフーリエ、イギリスのロバート・オーエンらが、近代的機械工業導入に伴う労働者の悲惨な労働状態や大衆の貧困化に対する抗議の意味をこめて、恐慌など資本主義的無政府性を克服した理想的産業社会を構想し、オーエンはアメリカに共産主義コロニーをつくる実験をも試みた。

これらの思想はのちにエンゲルスにより空想的社会主義と名づけられ、「資本主義的生産の未熟な状態、未熟な階級の状態には、未熟な理論が対応していた。

社会的な課題の解決は、未発展の経済関係のうちにまだ隠されていたので、頭のなかからつくりだされなければならなかった。社会は弊害ばかりを示していた。これらの弊害を取り除くのは、思考する理性の任務であった。社会的秩序の新しい、より完全な体系を考えだして、これを宣伝によって、できれば模範的実験の実例を通じて、社会に外から押し付けるということが必要であった。これらの新しい体系は、ユートピアになる運命を初めから宣告されていた」(空想から科学へ)と評された。

 これに対して、科学的社会主義は、歴史の唯物論的解釈と、資本主義経済の解剖学としての剰余価値理論に裏打ちされた、社会の「外から」の資本主義批判ではなく、社会の内部に労働者階級という理想社会の建設者をみいだす思想および理論として登場した。

その体系的創始者はK・マルクスとF・エンゲルスであるが、「科学的社会主義は本質的にドイツの産物」といわれたように、カント、フィヒテ、シェリングを経てヘーゲルに至るドイツ古典哲学の系譜から唯物弁証法をくみ出し、「社会主義の創始者」としての空想的社会主義の思想を受け継ぎ、アダム・スミスやリカードの経済理論を剰余価値理論にまで仕上げ、ロック、ルソーの政治理論を批判的に摂取し、ダーウィンなど当時の自然科学の諸成果にも影響された、近代諸科学の批判的吸収であり体系化であった。

その代表作がマルクスの『資本論』であり、「近代社会の経済的運動法則を明らかにすることはこの著作の最終目的である」と自負し、「およそ科学的批判による判断ならば、すべて私は歓迎する」と述べるにふさわしいものであった。

エンゲルスの『空想から科学へ』は、もともと『反デューリング論』(1878)の一部を編集し直してつくられたものであったが、当時のマルクス主義は、唯物史観と剰余価値論に代表されるように科学の最先端と自負するに足るものであり、またそのことによって労働運動、革命運動に多大な影響を及ぼし、20世紀に読み継がれていった。

 同時に、マルクス主義の全体系が科学であるとして継承されたために、マルクス、エンゲルスらの全言説、個々の記述までが「絶対的真理」として受け止められ、教条主義的信仰、文献解釈主義をも生み出した。

レーニンは、後進国ロシアで独自の革命理論・政治理論を展開したが、レーニン死後のマルクス主義においては、科学の名において共産主義政党の戦略・戦術を真理の次元で語り、果ては社会主義国家での民主主義抑圧や科学研究への干渉をも正統化するスターリン主義が支配的となった。

この時代に定式化された「レーニン主義」や「マルクス・レーニン主義」の呼称を嫌って、1970年代に、マルクス主義を「科学的社会主義」として再生させようとする動きが西欧諸国や日本で現れたが、89年東欧革命と91年ソ連解体は「社会主義」思想そのものの抜本的再検討を促すものとなった。協同組合主義や無政府主義を再興し、エコロジーやフェミニズムの主張を取り入れて、あえて社会主義の「ユートピア性」を復権しようとする試みも現れた。[加藤哲郎]

『エンゲルス著、寺沢恒信訳『空想から科学へ』(大月書店・国民文庫) ▽P・アンダースン著、中野実訳『西欧マルクス主義』(1979・新評論)』