補足説明

古典的な「国家有機体説」や「社会契約論」とは別に、「科学的社会主義」に基づく「国家論」的思想がある。

私は、最新の生物学・生命科学・量子力学・社会情報学・政治学など最新の知見に基づく、「新しい国家論」が打ち立てられなければならない、と考えている。


2016年6月27日月曜日

国家、又は国家群の‘意識’


意識は感覚・感情・行動・記憶の各要素が統合されたものである、と言われている。この概念では意識は動物にも存在していると考えることができる。ただ、動物は言語を発することはできないし、その言語を記録することもできない。言語を発し、言語を記録・保存することができるのは、生物の中でヒト(=人間)だけができることである。

AIの著しい発達により、将来、感情がプログラムされたコンピューターが出現するかもしれない。もしそのようなことが実現すれば。意識を持ったヒト型ロボットが出現するかもしれない。

 人間の意識は時空を超越するものであり、広大無辺・融通無碍・自由自在なものである。人間は言語を用いて自分が意識したもの・体験したこと・他人が意識したこと・他人が体験したなどを詳細に記録し、後世に伝えることができる。人間は想像力を働かせて自分の意識を遠い過去から遠い未来まで拡げることができる。将来、そのようなことができるヒト型ロボットが現れるかもしれない。

 人間の意識は800億個もの脳神経細胞の活動によって作り出されるものである。一個の脳神経細胞には1万本ものスパイン(spine)と呼ばれるとげ状の突起がある。その突起部分が他の脳神経細胞のスパインの突起部分と結合することにより意識が生まれるとされる。その意識の量はその脳神経細胞の数と脳神経細胞同士の結合の度合いの濃淡によって決まるだろう。ただ、その具体的なことは分っていない。

 脳神経細胞を作り出し、一つの脳神経細胞のスパインと他の脳神経細胞のスパインとの間で結合を生じさせるものは遺伝情報である。人は死ぬとその人の脳神経細胞も消滅する。しかし遺伝情報は子孫に伝わる。また本人の遺伝情報は本人の骨など体の組織が残っている間は残る。

 人が死んだら、その人の意識はどうなるのだろうか? 意識とはそもそも何なのか? 人の意識はその人の霊魂なのか? 人の集合的組織体である国家にも、国家としての意識はあるのだろうか? 

大多数の国民の共通的な意識が「国家の集合的な意識」とすれば、その「国家の集合的な意識」の根源には自己保存欲求がある、と考えることができるであろう。なぜなら、国家を構成する一人一人の人間には、生物学上の‘ヒト’としての自己保存欲求があるからである。

国際社会はそれぞれ自存欲求を持つ国々の集合的な社会である。国際社会で共通的に価値があるものは「国際法」である。価値観が共通な国家同士はグループとなる。利害が共通する国家同士は同盟を組む。そのとき、同盟関係にある国家群にも「集合的な共通の意識」があるだろう。しかしその意識は具体的にはどういうものなのだろうか?