補足説明

古典的な「国家有機体説」や「社会契約論」とは別に、「科学的社会主義」に基づく「国家論」的思想がある。

私は、最新の生物学・生命科学・量子力学・社会情報学・政治学など最新の知見に基づく、「新しい国家論」が打ち立てられなければならない、と考えている。


2016年6月27日月曜日

科学的社会主義「現象する世界の捉え方」


 私は「新しい国家」を考えるため、日本共産党が2004117日の第23回党大会で改定した党の綱領の理論的基礎としている「科学的社会主義」について、インターネットで資料を収集した。

 先ず「現象している世界をどのように捉えるか」ということについて、日本共産党川崎重工委員会による解説では、次のとおりとしている。


弁証法的な見方
形而上的な見方
第一
ものごとを世界の全般的な連関のなかでとらえる。
ものごとを、個々ばらばらにとらえる。
第二
すべてを生成と消滅、運動と変化のなかでとらえる。
固定した、いちど与えられたらそれきり変わらないものとしてとらえる。
第三
固定的な境界線や「不動の対立」にとらわれない。
反対物への転化も視野にいれる。
ものごとを、白は白、黒は黒という絶対的な対立のなかでとらえる。


科学的社会主義について(「独学ノート」から引用)


 歴史・社会構造の科学的分析に基づいて、社会主義社会への移行は歴史的必然であると主張する、マルクス・エンゲルスの社会主義思想。

→空想的社会主義

    エンゲルスは《反デューリング論》*1において,マルクスと彼自身が創始した科学的社会主義に対比して,それ以前の社会主義を空想的社会主義と規定した。

・その代表者として19世紀初頭のサン・シモン,フーリエ,オーエンがあげられ,以来この言葉は狭義にはこの3人を指して用いられる。とはいえ、マルクス主義の特質を明らかにするために彼らを対置しているのであって,エンゲルスが全面的に否定している訳ではない。7

    彼らは〈理性の王国〉をめざしたフランス革命が幻滅に終わったことをマルクスに先立って確言し,政治体制ではなく〈産業〉の中にこそ人間の協同関係が実現されるべきことを主張し,そのための社会組織を考案した。その批判性,思想性,人類の協同性に対する信頼はマルクスに大きな影響を与えている。

    彼らの思想の空想性は具体的にはつぎの2点に見いだされている。

i.              社会主義が現実の経済的諸関係に基礎をもつ,プロレタリアの自己解放運動の理論的表現であることを理解していない点である。このため彼らは社会主義を実現する担い手を見いだすことができず,18世紀の啓蒙思想家と同様に社会主義を永遠の正義や真理の表現,理性の要請と考え,天才が偶然に発見するほかはないものとみた。プロレタリアも社会主義の担い手ではなく,救済されるべき対象とみなされている。

ii.            彼らが資本主義の生み出す貧困と階級対立を非難し批判はするが,その必然性を理解し説明することができないことである。なぜ一方には巨大な資本蓄積が,他方にはプロレタリアの貧困と悲惨が再生産されるのか,その経済的メカニズムを合理的に解明することができず,したがって,なぜプロレタリアの自己解放運動として社会主義が発生するのかも理解することができない。エンゲルスは,この経済的メカニズムの秘密は〈剰余価値〉にあり,唯物史観の発見とならんでその発見こそ社会主義を〈一個の科学〉にした,と述べている。

科学的社会主義について【日本大百科全書(ニッポニカ)の解説】


マルクス主義の別称で、空想的社会主義に対比された表現。社会主義の思想は、商品生産が広がり資本家階級と労働者階級の分化が始まる資本主義創成期から現れるが、この階級対立の矛盾と資本主義的不平等に対する批判的ユートピアとして、トマス・モア、カンパネッラらは、矛盾と階級差別のない平等社会の理想を述べた。

18世紀末から19世紀前半の産業革命期には、フランスのサン・シモンやフーリエ、イギリスのロバート・オーエンらが、近代的機械工業導入に伴う労働者の悲惨な労働状態や大衆の貧困化に対する抗議の意味をこめて、恐慌など資本主義的無政府性を克服した理想的産業社会を構想し、オーエンはアメリカに共産主義コロニーをつくる実験をも試みた。

これらの思想はのちにエンゲルスにより空想的社会主義と名づけられ、「資本主義的生産の未熟な状態、未熟な階級の状態には、未熟な理論が対応していた。

社会的な課題の解決は、未発展の経済関係のうちにまだ隠されていたので、頭のなかからつくりだされなければならなかった。社会は弊害ばかりを示していた。これらの弊害を取り除くのは、思考する理性の任務であった。社会的秩序の新しい、より完全な体系を考えだして、これを宣伝によって、できれば模範的実験の実例を通じて、社会に外から押し付けるということが必要であった。これらの新しい体系は、ユートピアになる運命を初めから宣告されていた」(空想から科学へ)と評された。

 これに対して、科学的社会主義は、歴史の唯物論的解釈と、資本主義経済の解剖学としての剰余価値理論に裏打ちされた、社会の「外から」の資本主義批判ではなく、社会の内部に労働者階級という理想社会の建設者をみいだす思想および理論として登場した。

その体系的創始者はK・マルクスとF・エンゲルスであるが、「科学的社会主義は本質的にドイツの産物」といわれたように、カント、フィヒテ、シェリングを経てヘーゲルに至るドイツ古典哲学の系譜から唯物弁証法をくみ出し、「社会主義の創始者」としての空想的社会主義の思想を受け継ぎ、アダム・スミスやリカードの経済理論を剰余価値理論にまで仕上げ、ロック、ルソーの政治理論を批判的に摂取し、ダーウィンなど当時の自然科学の諸成果にも影響された、近代諸科学の批判的吸収であり体系化であった。

その代表作がマルクスの『資本論』であり、「近代社会の経済的運動法則を明らかにすることはこの著作の最終目的である」と自負し、「およそ科学的批判による判断ならば、すべて私は歓迎する」と述べるにふさわしいものであった。

エンゲルスの『空想から科学へ』は、もともと『反デューリング論』(1878)の一部を編集し直してつくられたものであったが、当時のマルクス主義は、唯物史観と剰余価値論に代表されるように科学の最先端と自負するに足るものであり、またそのことによって労働運動、革命運動に多大な影響を及ぼし、20世紀に読み継がれていった。

 同時に、マルクス主義の全体系が科学であるとして継承されたために、マルクス、エンゲルスらの全言説、個々の記述までが「絶対的真理」として受け止められ、教条主義的信仰、文献解釈主義をも生み出した。

レーニンは、後進国ロシアで独自の革命理論・政治理論を展開したが、レーニン死後のマルクス主義においては、科学の名において共産主義政党の戦略・戦術を真理の次元で語り、果ては社会主義国家での民主主義抑圧や科学研究への干渉をも正統化するスターリン主義が支配的となった。

この時代に定式化された「レーニン主義」や「マルクス・レーニン主義」の呼称を嫌って、1970年代に、マルクス主義を「科学的社会主義」として再生させようとする動きが西欧諸国や日本で現れたが、89年東欧革命と91年ソ連解体は「社会主義」思想そのものの抜本的再検討を促すものとなった。協同組合主義や無政府主義を再興し、エコロジーやフェミニズムの主張を取り入れて、あえて社会主義の「ユートピア性」を復権しようとする試みも現れた。[加藤哲郎]

『エンゲルス著、寺沢恒信訳『空想から科学へ』(大月書店・国民文庫) ▽P・アンダースン著、中野実訳『西欧マルクス主義』(1979・新評論)』

国家有機体説【日本大百科全書(ニッポニカ)の解説】

* 以下は、ウイキペディアからの引用である。これは@国家有機体説」について、昨日投稿した「国家有機体説」に追加するものである。


こっかゆうきたいせつ
organismic theory of the state英語
die organische Staatstheorieドイツ語

国家を一種の有機体とみる国家学説。国家ないし社会を生物有機体との類推において説明することはすでにプラトンの国家論に現れており、その後、中世カトリックの秩序観やホッブズの政治学説にもみられる。

しかしそれを体系的国家学説として主張したのは、フランス革命後の反動期に現れたドイツの政治的ロマン主義が初めてであった。それは、フランス革命によって成立した近代民主制国家の原理たる啓蒙(けいもう)主義的な自然法思想の原子論的・機械論的な国家論に対抗して、中世の封建的身分秩序原理を理念化した国家有機体説を主張した。

それによると、国家は部分が先にあってそれから組み立てられたメカニズム(機械)ではなく、神から与えられた内在的目的をもったオルガニズム(有機体)であるとされた。そして中世の身分秩序が人体の機能の差異によって説明され、不平等な人間関係が有機体説によって正当化された。

 19世紀中葉においてドイツで市民革命が切迫し、そして1848年にそれが失敗したのち、自然法思想から導き出された人民主権論に対抗して国家有機体説が保守主義勢力によって支持された。

それは、当時飛躍的発展を遂げつつあった自然科学の権威を借りて国家を生物有機体との類推で説明し、君主主権を正当化した。その際、国家を生物有機体とみて生物学の知識をもって説明する「生物有機体説」や、さらにそのうえに人間の心理学の知識を付け加えて説明する「心理学的有機体説」などの多様な国家有機体説が展開された。

前者の代表者がフランツ(181791)であり、後者の代表者がブルンチュリ(181082)であった。同時期にイギリスでは、社会を有機体との類推で説明するスペンサーの社会有機体説も現れ、その権威を援用して、ドイツでは国家有機体説はビスマルク体制を弁護するイデオロギーとして大きな影響力をもった。

 すべての保守主義政治思想の核心に普遍的にみられる国家有機体説は、部分より先に有機体という全体があって、部分はこの全体に奉仕するものとして位置づける理論構成をとっており、団体主義の国家論の一種である。

 わが国では明治初期にブルンチュリの国家有機体説が加藤弘之(ひろゆき)訳『国法汎論(はんろん)』(1872)によって紹介され、それは明治国家の保守主義国家論の基礎となった。[安 世舟]


国家、又は国家群の‘意識’


意識は感覚・感情・行動・記憶の各要素が統合されたものである、と言われている。この概念では意識は動物にも存在していると考えることができる。ただ、動物は言語を発することはできないし、その言語を記録することもできない。言語を発し、言語を記録・保存することができるのは、生物の中でヒト(=人間)だけができることである。

AIの著しい発達により、将来、感情がプログラムされたコンピューターが出現するかもしれない。もしそのようなことが実現すれば。意識を持ったヒト型ロボットが出現するかもしれない。

 人間の意識は時空を超越するものであり、広大無辺・融通無碍・自由自在なものである。人間は言語を用いて自分が意識したもの・体験したこと・他人が意識したこと・他人が体験したなどを詳細に記録し、後世に伝えることができる。人間は想像力を働かせて自分の意識を遠い過去から遠い未来まで拡げることができる。将来、そのようなことができるヒト型ロボットが現れるかもしれない。

 人間の意識は800億個もの脳神経細胞の活動によって作り出されるものである。一個の脳神経細胞には1万本ものスパイン(spine)と呼ばれるとげ状の突起がある。その突起部分が他の脳神経細胞のスパインの突起部分と結合することにより意識が生まれるとされる。その意識の量はその脳神経細胞の数と脳神経細胞同士の結合の度合いの濃淡によって決まるだろう。ただ、その具体的なことは分っていない。

 脳神経細胞を作り出し、一つの脳神経細胞のスパインと他の脳神経細胞のスパインとの間で結合を生じさせるものは遺伝情報である。人は死ぬとその人の脳神経細胞も消滅する。しかし遺伝情報は子孫に伝わる。また本人の遺伝情報は本人の骨など体の組織が残っている間は残る。

 人が死んだら、その人の意識はどうなるのだろうか? 意識とはそもそも何なのか? 人の意識はその人の霊魂なのか? 人の集合的組織体である国家にも、国家としての意識はあるのだろうか? 

大多数の国民の共通的な意識が「国家の集合的な意識」とすれば、その「国家の集合的な意識」の根源には自己保存欲求がある、と考えることができるであろう。なぜなら、国家を構成する一人一人の人間には、生物学上の‘ヒト’としての自己保存欲求があるからである。

国際社会はそれぞれ自存欲求を持つ国々の集合的な社会である。国際社会で共通的に価値があるものは「国際法」である。価値観が共通な国家同士はグループとなる。利害が共通する国家同士は同盟を組む。そのとき、同盟関係にある国家群にも「集合的な共通の意識」があるだろう。しかしその意識は具体的にはどういうものなのだろうか?

2016年6月26日日曜日

社会契約論


(ウイキペディアより引用)

『社会契約論』(しゃかいけいやくろん、仏: Du Contrat Social ou Principes du droit politique, 社会契約について、もしくは政治的権利の原理)は、思想家ジャン=ジャック・ルソーによって執筆され、1762年にフランスで公刊された政治哲学の著作である。古くは『民約論』とも訳した。「一般意志」というルソーの造語を世に送り出した書として有名である。

ルソーはフランスで音楽活動を行いながら文明社会への問題意識を深め、1750年に『学問芸術論』、1755年に『人間不平等起源論』を発表して、文明社会における人間の徳の退廃や私的所有に由来する不平等を指摘している。1743年から1744年にかけてヴェネツィアでフランス大使の秘書官として勤務していたルソーは、ヴェネツィア共和国の問題から着想を得て『政治制度論』を構想する。これは未完であるが、本書『社会契約論』はその一部として出版された。

自然状態から社会の成立原理を明らかにして、人民主権など民主主義理論に基づく社会契約説を説く内容であったので、出版後は王権神授説を支持する絶対王政期のフランス王国やカトリック教会[2]が激しく反発し、出版禁止や逮捕令などでルソーは弾圧を受けた。

ルソーは人間の本性を、自由意思を持つものとして考え始める。自然状態では各個人は独立した存在として自己の欲求を充足させるために行動し、生存の障害が発生すればその解決のために各個人同士で協力関係を求める。こうして生じる個々人の約束は社会契約の概念として把握される。社会契約の枠組みに従って国家が正当化されるためには、人間の自由な意思が社会契約の中で保障されていなければならず、本書では個人のための国家の在り方を論じている。

社会における全ての構成員が各人の身体と財産を保護するためには、各人が持つ財産や身体などを含む権利の全てを共同体に譲渡することを論じる。人びとが権利を全面的譲渡することで、単一な人格とそれに由来する意思を持つ国家が出現すると考えられる。国家の意思をルソーは「一般意思」と呼んでおり、これは共同体の人民が市民として各人の合意で形成したものであると同時に、一般意思が決定されてからは臣民として絶対服従しなければならない。なぜならば一般意思とは、各個人の私的利益を求める特殊意思とは反対に、公共利益を指向するものであるからである。したがって一般意思をもたらす人民は、主権者として見直すことが可能となる。

しかし、人民主権の理念を具体化するためには、多くの実際的問題が認められる。人民は主権者であり、一般意思が公共の利益を指向するとしても、人民の決議が常に正しいとは限らない。人民全員が参政することは非現実的であるばかりでなく、非効率でもある。そこで人民に法を与える立法者の役割が導入される。立法者は制度や習俗を構築することで共同体を構築する。さらに、人民の習俗が維持するための監察官を用意することで、社会契約や法の絶対性を教義とする市民宗教を教育し、共同体を維持する。

国家有機体説


(ウイキペディアより引用)


  国家有機体説(こっかゆうきたいせつ、英 organistic theory of the state、独 Staatsorganismus)とは、国家をひとつの生物であるかのようにみなし、その成員である個人は全体の機能を分担するものであるとする国家観。古くはプラトンに始まり、ヘーゲルやバーク、ハーバート・スペンサーらによって論じられている。社会契約説と逆の立場。

ヘーゲルによれば、国家とは、個を含む全体であるとともに、個の独立性をも許容し、高次の統一と調和を実現する有機的統一体だとする。バークによれば、国家とは現に生きている人々だけでなく、死者や将来生まれてくる人々との共同体であるとする。ヨハン・カスパル・ブルンチュリやハンス・ゲルバー、オットー・フォン・ギールケなどドイツ法学者たちも、国家とは、単に法的組織にとどまらない、文化的多様性をもった歴史的存在としての倫理的・精神的有機体、つまり生命体であるとした。[1]

脚注[編集]

1.^ この節「参議院憲法調査会における参考人の基調発言」参議院憲法調査会h17.4[1]PDF-P.175、日本大学法学部百地章の発言より抜粋