補足説明

古典的な「国家有機体説」や「社会契約論」とは別に、「科学的社会主義」に基づく「国家論」的思想がある。

私は、最新の生物学・生命科学・量子力学・社会情報学・政治学など最新の知見に基づく、「新しい国家論」が打ち立てられなければならない、と考えている。


2017年3月2日木曜日

「国家」は「一つの生物」である


 科学的社会主義(マルクス・レーニン主義)を信奉している人たちは社会現象を物質的に捉えている。しかし社会現象は人間の組織的な集団の活動を反映するものである。単に物質だけが社会現象の根底にあるのではない。

 人間の組織的な集団は「一つの生物」のようなものである。その集団内の個々の人間の理性や感情の発現はその集団の規律によって暗黙の裡に規制される。一党独裁の国家・一人の独裁者の国家は自由民主主義の国家に比べて、「一つの生物」の様相を色濃く表す。純色か雑色かという表現で言えば、前者は純色に近く後者は雑色に近い。

 人間の遺伝子の90%以上は他の動植物と同じである。人間の遺伝子と猿の遺伝子は1%しか違いがない。人間の遺伝子は他の動物の遺伝子と90%共有している。人間の組織的な集団は野獣と同じようなものである。

 動物たちは食べること・交配して種を残すこと・生存することだけを欲求して「自存の行動」をしている。人間は自分が「動物」ではなく「人間」であると思いたがっているが、人間も「動物」の一種であることに間違いはない。そういう「人間」が作っている国家は「動物」と同じように「自存の行動」をする。

 理想主義者・博愛主義者が夢見ることは、国境が無く、世界の人々が自由に行き来して自分が住みたい土地に自由に移り住むことができるような世界の実現であろう。科学的社会主義者が夢見ることは原始人の社会のようなものであろう。いずれも其処には争いの無い理想的な社会がある。

 しかし「動物」と同じように「自存の行動」をする「国家」は、他の「国家」と対立する。何故なら「国家」として生き残るためである。

 一部のリベラリスト・グローバリスト・これらに同感するジャーナリストやメディア・政治家・官僚が着目したがらないことは、次の七つのキーワードの中にある。
 ①国家は一つの生物である。
 ②最大多数の人々の最大幸福を目指すことが最善である。
 ③自由は規律と裏腹であり、両者は同等の重さがある。
 ④権利は義務と裏腹であり、両者は同等の重さがある。
 ⑤軍隊は国家の背骨である。
 ⑥人々の最大の関心事は自分及び自分の家族の安全・安心・繁栄である。
 ⑦最大多数の人々の最大幸福は上記⑥の関心事が確保されることである。

 移民の増加・永住権を得た特定の外国人の増加は社会に活力を生むと同時に、社会の不安定を招くだろう。カジノ・ホテル・商業施設などの統合型リゾート(IR)を造ることは社会に富をもたらすとともに、犯罪も増えるだろう。海外からの投資を自由にさせれば、経済が発展するが、一方で国家の防衛上重要な施設や機能が危険に晒されることになるだろう。そういうことが起きないようにするため、必然的に厳しい取り締まりが必要になる。しかし日本人は往々にして重大な事件が起きるまで呑気に構えている傾向がある。潜んでいる問題を発掘し、事前に対策を講じることは危機管理の要諦であるが、そのことについて声を大にして言う人は少ない。家庭・学校・社会・企業・行政機関等で問題解決のための教育・訓練は熱心に行われるが、潜んでいる問題を発掘し、事前に対策を講じるための訓練については無関心に近いのではないだろうか?

感情・知識・文化の三つは「問題の存在」に気付かない原因となり、問題の発見が遅れる原因ともなる。自虐史観に囚われている人・軍隊に対するアレルギーがある人・国家観が欠如している人・自由だけを希う人・権利だけを主張する人・自分だけが良ければよいと思っている人などは、「問題の存在」に気付かないか、「問題の存在」に気付こうとしない人たちである。テレビや新聞に出る一部のリベラリスト・グローバリスト・これらに同感するジャーナリストやメディア・政治家・官僚の中に、そういう人たちが居ないかどうか?

 「国家」を「一つの生物」と見なすことは、新しい国家観を人々の間に広めることだろう。世の中が、世界中の人々がそのような国家観を持つようになれば、人々が安全で自由で繁栄するためお互いどうするべきか、良い知恵を持つようになるのではないだろうか?